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青い電車も黄色い電車も遅れてくれたおかげで

2012年12月28日 23:33

だいぶはかどりましたがそれでも『本文』といえるものはまっちろけ。

次号、詰むや詰まざるや
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混沌の乳海をかき混ぜて生命を産み出すような作業

2012年12月20日 15:24

中。



久しぶりに外堀と言うか設定と言うか、キャラと世界の裏付けを取る作業に力を入れてます。いや、たのしい。
事実、史実の隙間を縫って、ざっくり180年の嘘年表。意外に無理なくそれらしく仕上がってる。

何がすごいって、これだけうまくまとまってるのに、本文中ではそれについて一行たりとも触れない、というところが。
まあ、昔のゲームとか、みんなそうだった気がするし、昔のゲームの話だし。たぶん必然。



今じゃ現実の方がはるかに虚構を追い抜いて、タッチパネルの薄型COMPなんて、それこそ一人一台も二台も、てなことになって、もう完全に、来るべき未来にありうるかもしれない世界、ではなく、過去の世界にありえたかもしれない別の世界、になっている。
それでも、15年経った今でも新鮮な驚きを見つける事が出来るのは、因果と言うか、何と言うか。

久方ぶりに楽しみながら文章ひねっています。
安い喫茶店でコーヒーすすりながらあれこれ考えるのが何よりも楽しいということを思い出した。
いまの相棒は、どっしり構えて重鎮然としたむかしの相棒より、軽くてスカして流行りに敏感で、フットワーク軽いんだけど『言い淀む』を『良いよドム』なんつったりする危なっかしいやつですが、果たしてどうなりますやら。
あと10日。
本人は、楽しんでます。

くしゃみがでそうになったとき

2012年06月11日 02:35

 おれは意識してくしゃみを遅らせて、その間にティッシュとって口に当てて唾液の飛散を防ぐのだけど、くしゃみよりもはやく手を動かしてティッシュをとり口を押さえる、という人が職場にいて、これが反射と思考の融合か、といつも思う。



 いろいろ言われつくした感のあるシナリオについてですが、一期も二期も途中脱落だった自分の感覚は、きちんと通して作品をすきだったひとたちのそれとは違うのだろう、とは思いつつも、自分にもやっぱりハテナマークで、それはなぜかをずっと考えていたのだけど、たぶん、この誤解と曲解だらけのなか奇跡的なバランスで崩壊せずにいる僕らの生きるこの世界のことを頭ごなしに否定されていたのだと、最後の最後になってからいわれて、ぜんぜんそんな風に思ってるなんて思わなかったのにでも冷静に考えるとところどころそんな節があったことに気づいて、大事なものを箱に入れて大事にしていたら、いつの間にかというか、実は最初から箱の中は空っぽだった、みたいな。持ってるつもりのものを持っていなかったんだ、という、喪失感。なくしてないのになくした、もっていないものを失った、みたいな、二重の虚しさ。それがなんだか寂しかったんじゃないだろうか、という仮定にたどり着いているんだけど、結論は出そうにない。
 そんなにすきでもないけれど、そんなに嫌いでもないのかな、この世界が。と思うと、意外に大事に思ってたのか、というか、なんかそんなにすきでもない食べ物食ってあれ、うまい、とおもったときの感覚、というか、これあんまうまくないよね、といわれてそんなことないよ、と自分でもびっくりする勢いで腹立っちゃったみたいな、なんだかへんな、ちょっとくすぐったいような気分。

おれとステカセキング

2012年02月29日 00:16


肉の話をしよう。





●これまでのあらすじ
 ステカセキングの超人大全集は、背中に背負ったミラクルランドセルに収まっているもので全てだと思っていたが、どうやらあれはその都度選別してもってきているらしいのだった。







 やー、ショックでした。え、なんでみんな5超人限定であとひとり予想とかしてんの? と思ってました。
 まぁ本編中で『5本選別して持ってきた』みたいなセリフもなかったと思うんですが、だからといって1本に複数収まってる描写もない、みたいな。
 えーだっておれんちにあったコロムビアのテープとか、スラングルのうたもサスライガーのうたもドルバックのうたもモスピーダのうたもひばりくんの歌だって入ってたじゃん! みたいな。




 で、その前提で。




 おれのなかでのステカセキングは、『すべての能力を持つものが万能ではない』『最強だから100%勝てるわけではない』を体現したキャラクターで、以後あまた目にする『敗れるはずのない者』たちのなかで、最も幼い時分に触れたキャラクターでした。

 いや、恐ろしかったですね。
 超人オリンピック終了直後のタイミングで、ウォーズマンですよ。
 当時押しも押されぬ最強超人。肉体的なスペックは、まだまだウォーズマンの方が上、という認識でした。苦闘の末の和解を経たとはいえ、その激しい戦いの記憶は、幼い自分にも鮮明に残っていました。これは、当時は少年ジャンプの存在を知らず(漫画はすべて単行本で販売されるものだ、と思っていました)、最新刊を買ってもらうまで前巻までを何度も読み返していたので強く記憶に残っていたから、というのもありますが、ページをめくりながら、『どうやって勝つのだろう』ではなく『こんなの勝てるわけがない』と純粋に思えたのは、自分の幼さばかりが原因ではなかったと思います。

 敗因の、うっかり『3年前のキン肉マン』のカセットを再生してしまった、という点も、非常に象徴的で、

・すべての能力、とは弱さも含む
・己の手に余る力は、力ではない

など、様々な教訓を残してくれました。
また、

・3年前のキン肉マンが弱いからといって大全集から省いてしまえば、それは『全集』ではない

 という点も重要なポイントではないかと思います。

 勝負は水もの、という単語を覚えるのは、それからまだもっと先のことだったし、そのころは格闘ゲームなんてものが世の中に現れるとは誰もおもっていなかっただろうけど、その後の自分の根っこの部分に大きな影響を与えていたのだなと述懐。





 と、ここまでがつい今朝方までの自分のはなし。
 それまでは、『すべての超人の能力を任意に使い分けることのできる最強キャラ』でした。
 ここからは、『すべての超人の持つ可能性の中から任意に試合運びを考える智将』というイメージに変わっています。

 当時はよく実感できませんでしたが、初登場時のチョイスにしても、『つい先だって死闘を演じたばかりのウォーズマンと再び戦わなければいけない』という精神的プレッシャーが、どれほど相手を萎縮させるか。実績解除系のきついのを抜けた時『もう二度とやらねぇ』といってコントローラー投げるのが癖の今、その気持ちはよくわかります。
 前座的に描かれたラーメンマンへの変身についても、直前のシリーズで描かれていましたし、『ウォーズマンの強さの裏付けとしてのラーメンマン戦』という意味合いもかったように思います。当時、ラーメンマンはまだ車椅子でしたしね。

 今回の一本目のは、当時で言うとロビンマスクに変身した、という場合に近いような気がします。でもロビンマスクとの超人オリンピック決勝戦は終盤、精神的にかなり優位に立っての勝利のイメージがあるので、当時それをやられても『?』だった気はしますがw


 昨日までのイメージは崩れ去ってしまったけど、その下に知らぬ間に積み上がっていた新しいイメージを目にして改めて惚れ直す、というなかなか稀有な体験をしたなぁ、という印象です。強制温故知新。




 今回は、超人大全集とミラクルランドセルについてのお話のインパクトが強かったのですが、ステカセキング本人について、これはアニメオリジナルの展開ですが、地獄のシンフォニーの残響を、ウォーズマンのものとぶつけることで相殺する演出の妙も効いているきがします。お互いの耳と耳を近づけ、苦悶の表情でうめき声を上げる二人の映像は、いまでもくっきりとまぶたに焼き付いています。あれ今なら確実に夏に薄い本が出る。





追記:
 全然意識してなかったけど投稿日が『に…肉!』の日になってしまってなんだかすごく気恥ずかしい…。
 あとステカセキングの、悪魔超人には変身しないところにも信念を感じるのですきです。もしかしたらデータを取っていないのかも知れないし、そのために超人大全集が永遠に完全なものになることはなくても、それでいいような気がします。







C81おつかれさまでした。

2012年01月01日 23:21

 そしてあけましておめでとうございます。
 本年は旧年中にもましてアイドリング状態を継続の予定です。

以下反転。

 表紙で盛大にネタばれしていますがネタばれしていると気づいたときにはお互い完全に引き返せないところまで来ていました。ブレーキ踏んでも助からない、と思ったら迷わずアクセル踏むのはいつものこと。
 本来的には、当初予定していた『アッシュ消滅後の世界で、なんとも形容しづらい虚無感に囚われて堕落していくシェンと、理由のない苛立ちに心の置きどころのないデュオ』の話の副産物として生まれたものでした。
 実際は、主軸となる2003主人公チームの話があった上で、変化球としての作品になるべきだったのに、とんだビーンボールです。表紙とイラストをお願いしたよろづさんに、イラストではなく、前後に2Pづつの漫画をはさむことで、見栄えは素晴らしい物になりましたが、これはもう、変化球こえて魔球の域。床に穴開く方のやつ。

 ただ、2003チームのメンバーのメンタリティがいかにして構築されたか、みたいなことを軽くうつらうつらしながら考えていて、それぞれの(架空の)生い立ちがあんまりにも浮世離れしてるのでこれじゃ童話かおとぎ話だな、と自嘲した直後に『セーラにおやすみまえのおはなしをねだるクーラ』の天啓を得てからわずか1ミリ秒でプロットを完了していました。

 漫画になっている部分のベースとなる文章を、クリスマスのミスドでコーヒーがっぱがっぱおかわりしながら書いたこともあって、設定的にはクリスマスの夜の出来事、ということになっています。無意識で。どっっこにもそんな表記ないしイラスト担当にも伝えてませんが。


 強さ故の孤独を知る3人の出会いと、その別れについては、機会があればもう少しゆっくり考えてみたいです。3人が3人とも、全く常識的な思考をしないので、読み物としてはスタートラインから破綻しているものができそうですが、それは考えてる本人が破綻しているから仕方が無いのかな、という気がします。


 いつにもまして反転部分が言い訳がましいのは、それだけやり残したことが多いからですかね。とりもど、し、たい、せる…かな…、?



 今回、色々あってイベント参加中はスペースから全然出られなかったんですが、パッと見、2003トリオで出てる人いなかったような…。ちょっと残念。
 KOF13家庭用のストーリーモードで、デュオロンが紅丸のことを『二階堂』って呼んでたのに思わずケツ浮いてしまったんですが、そのへんっていつからそうだったのか、とか聞いてみたかっったんですけどねw








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