2012年02月29日 00:16
肉の話をしよう。
●これまでのあらすじ
ステカセキングの超人大全集は、背中に背負ったミラクルランドセルに収まっているもので全てだと思っていたが、どうやらあれはその都度選別してもってきているらしいのだった。
やー、ショックでした。え、なんでみんな5超人限定であとひとり予想とかしてんの? と思ってました。
まぁ本編中で『5本選別して持ってきた』みたいなセリフもなかったと思うんですが、だからといって1本に複数収まってる描写もない、みたいな。
えーだっておれんちにあったコロムビアのテープとか、スラングルのうたもサスライガーのうたもドルバックのうたもモスピーダのうたもひばりくんの歌だって入ってたじゃん! みたいな。
で、その前提で。
おれのなかでのステカセキングは、『すべての能力を持つものが万能ではない』『最強だから100%勝てるわけではない』を体現したキャラクターで、以後あまた目にする『敗れるはずのない者』たちのなかで、最も幼い時分に触れたキャラクターでした。
いや、恐ろしかったですね。
超人オリンピック終了直後のタイミングで、ウォーズマンですよ。
当時押しも押されぬ最強超人。肉体的なスペックは、まだまだウォーズマンの方が上、という認識でした。苦闘の末の和解を経たとはいえ、その激しい戦いの記憶は、幼い自分にも鮮明に残っていました。これは、当時は少年ジャンプの存在を知らず(漫画はすべて単行本で販売されるものだ、と思っていました)、最新刊を買ってもらうまで前巻までを何度も読み返していたので強く記憶に残っていたから、というのもありますが、ページをめくりながら、『どうやって勝つのだろう』ではなく『こんなの勝てるわけがない』と純粋に思えたのは、自分の幼さばかりが原因ではなかったと思います。
敗因の、うっかり『3年前のキン肉マン』のカセットを再生してしまった、という点も、非常に象徴的で、
・すべての能力、とは弱さも含む
・己の手に余る力は、力ではない
など、様々な教訓を残してくれました。
また、
・3年前のキン肉マンが弱いからといって大全集から省いてしまえば、それは『全集』ではない
という点も重要なポイントではないかと思います。
勝負は水もの、という単語を覚えるのは、それからまだもっと先のことだったし、そのころは格闘ゲームなんてものが世の中に現れるとは誰もおもっていなかっただろうけど、その後の自分の根っこの部分に大きな影響を与えていたのだなと述懐。
と、ここまでがつい今朝方までの自分のはなし。
それまでは、『すべての超人の能力を任意に使い分けることのできる最強キャラ』でした。
ここからは、『すべての超人の持つ可能性の中から任意に試合運びを考える智将』というイメージに変わっています。
当時はよく実感できませんでしたが、初登場時のチョイスにしても、『つい先だって死闘を演じたばかりのウォーズマンと再び戦わなければいけない』という精神的プレッシャーが、どれほど相手を萎縮させるか。実績解除系のきついのを抜けた時『もう二度とやらねぇ』といってコントローラー投げるのが癖の今、その気持ちはよくわかります。
前座的に描かれたラーメンマンへの変身についても、直前のシリーズで描かれていましたし、『ウォーズマンの強さの裏付けとしてのラーメンマン戦』という意味合いもかったように思います。当時、ラーメンマンはまだ車椅子でしたしね。
今回の一本目のは、当時で言うとロビンマスクに変身した、という場合に近いような気がします。でもロビンマスクとの超人オリンピック決勝戦は終盤、精神的にかなり優位に立っての勝利のイメージがあるので、当時それをやられても『?』だった気はしますがw
昨日までのイメージは崩れ去ってしまったけど、その下に知らぬ間に積み上がっていた新しいイメージを目にして改めて惚れ直す、というなかなか稀有な体験をしたなぁ、という印象です。強制温故知新。
今回は、超人大全集とミラクルランドセルについてのお話のインパクトが強かったのですが、ステカセキング本人について、これはアニメオリジナルの展開ですが、地獄のシンフォニーの残響を、ウォーズマンのものとぶつけることで相殺する演出の妙も効いているきがします。お互いの耳と耳を近づけ、苦悶の表情でうめき声を上げる二人の映像は、いまでもくっきりとまぶたに焼き付いています。あれ今なら確実に夏に薄い本が出る。
追記:
全然意識してなかったけど投稿日が『に…肉!』の日になってしまってなんだかすごく気恥ずかしい…。
あとステカセキングの、悪魔超人には変身しないところにも信念を感じるのですきです。もしかしたらデータを取っていないのかも知れないし、そのために超人大全集が永遠に完全なものになることはなくても、それでいいような気がします。
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